2011年2月アーカイブ

夢を阻むもの。

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ここ数年、NHKの朝ドラを見る習慣がついています。

2006年下期の「芋たこなんきん」からなので、
かれこれ……4年ほどになるのでしょうか^^;
 
現在放映中の「てっぱん」。
これはなかなか面白いのです。
 
1週間に約1回、
富司純子演じる主人公のおばあちゃんが「エエこと」言うのです☆
 
昨日はそんなに感動的なシーンではなかったのですが、
京野ことみ演じる?のぞみ?が、おばあちゃんに一言お灸をすえられるシーン。。。
 
のぞみが、主人公であるお好み焼屋さん店主あかりちゃんに、
経営的アドバイスをするわけです。
「この店のコンペティブ・エッジはなんなの!?…(中略)…
店のコンセプトがブレ過ぎ!(店の)名前は『おのみっちゃん』なのに、
出てるのは大阪のお好み焼きばかりじゃないの!」と。。。
「そういう行き当たりばったりのやり方がブレてるっていうの!」と詰め寄るのぞみさん。
そこで!
出ました!!
おばあちゃんのキツーイ一言><
 
「店の事は店の主(あるじ)に任せて、アンタは自分のこと考え!」
 
そして、とどめに!!
 
「ブレてるのはそっちと違うかっ!!」
 
 
のぞみは、
婚約破断になり、会社を辞め、傷心の中、
亡き母親の思い出の場所であるお好み焼屋(旧名ちはる)に転がり込んできたという設定。
そこで、
自らの存在を示すため(役に立つため?)に、
あれこれと口出しをしているという設定です。
 
この設定を、
いろんな立場で見ることができるのでしょうね。。。
 
親になろうとする立場、
子を持つ親の立場、
サラリーマンという立場、
商店主という立場、
おばあちゃんという立場、
……様々な立場と、様々な観点。
 
 
そういう意味では、
ワタクシの中では、まだまだ“のぞみちゃん”の立場に自分を投影する自分が居ます。
 
「こんな態度、やっちゃうだろうなぁ」
「こんな風に言ってしまうだろうなぁ」
「小難しい事言って、相手の承認を得ようとするだろうな」
「頼らせようとするだろうな」
「あなたの下ではないと誇示するだろうな」と。。。
 
 
相対性に生きる自分に気付きます。
自分が社会の中のどのポジションに位置付けていて、
それは社会がどのように評価をつけてくれるのか。。。
 
そんな中、
おばあちゃんはシンプルに言ってくれます。
「ブレてるのはアンタや!」と。
 
言葉遊び、ビジネスゲームの中の「ブレ」。
人生を生きる上での「ブレ」。
 
 
 
 
 
「やりたいこと」とは何なんでしょうか。
「シアワセ」とは何なんでしょうか。
 
 
 
混沌に生きる、
すなわち、悩むのはとっても楽なことです。
悩みがあるほうが楽なんですよね^^;
 
 
悩み、混沌とは何か?
その最中に居る時は、
「やりたいこと」「やるべきこと」をやれない理由を様々につくります。
時間がない。
お金がない。
協力者が居ない。
魅力がない。
向いてない。
能力が無い。と。
 
ほとんどの場合は、
「やりたいこと」とセットで持ち合わせるようにしていますね。
一番怖いのは
「やりたいこと」が無くなることだと知っているからです。
 
たとえるならば、
言い訳を先に作って、
「憧れの人に告白しない」みたいなものなのでしょうか><
 
構造は、
夢は持っていたいけど、
夢を失うのが怖くて、
だから!
追いかけることはしません。
なぜなら、
お金、時間、協力者、適性がないからです。
 
という理路なわけです^^;
そりゃ、混沌です><
エッセンスだけ取り出すと、ワケわかんないです(汗)
理路、方程式としては成り立ちにくいから、悩むわけですね。
しかも悩んでいる間は、
「失う」「失うかもしれない」という恐怖にたどり着くことなどないわけです。
 
参考までに、
単純な方程式上は、
「追う」ことがなければ「辿りつかない」はずです。
 
要するに、故に、失望よりも混沌を選択しているわけです。
 
さて、
ここで自分に面白い質問を投げかけてみるわけです。
※「夢を追うと時間がなくなりますか?」
※「夢を追うとお金がなくなりますか?」
※「夢を追うと協力者がなくなりますか?」
※「夢を追うと能力が下がりますか?」
※「夢を追うと適性が減退しますか?」と。
 
※ちなみに「夢」は何事にも替え難く大好きなことで、
叶えば何も要らないと思えるパラダイス的なモノ・コトと定義しましょう。
 
どうですか?
「」の質問に対して、何らかの感情が生まれましたか?
 
この中で、積極的な答えを導き出せない項目に対して、
もしかしたら、
夢に対峙するにあたっての(自分の)弱みがあるのかもしれません。
そこにとってもしつこい思い込みがあるのでしょうね。
だから、フリーズしてしまいます。
だから、抵抗・反抗・反攻したくなります
 
面白いと言っては、
混沌の中に居る人に怒られるかもしれませんが、
その項目に引っかからない人から見れば、
「なんでその項目にそんなに消極的、悲観的なの?」となります。
 
 
 
 
ゴールは何か。
どこに向かえばいいのか。
そのために何をすればいいのか。
ココとソコにはどれだけの道のりがあるのか。
今、何をやるといいのか。やらねばならぬか。
今日、何から始めればいいのか。
 
 
これは、
極めて単純な方程式と言えそうです。
 
 
 
自分の夢を叶える。
そのために人の夢を叶える。
人の役に立つことで、自分もHAPPYになれる。
は、成り立ちます。
が、
人の役に立っていても、
必ずしも、自分の夢が叶えられるわけではない。
 
この方程式は、
どんな「仕事」にも当てはまります。
"人の役に立つ"ということを「夢」にするとついついゴール(=自分の夢)を見失いがちです。
 
しかしながら、
「私は本当の!本当に!!人の役に立つことが夢なのです。幸せなのです」
「ゴールは具体的にはないのですが、喜んでもらえるのが嬉しいのです」と、
思い込んでしまいがちです。
 
本当にそうなのでしょうか?
 
なぜならば、
「他人が本当に喜んでる」「本当に他人の役に立つ」が、
自分自身に本当に分かるのでしょうか?
どうして"役に立った"と云えるのでしょうか。。。
 
そこで!
おばあちゃんの
「ブレてるのはそっちと違うかっ!!」
「あんたな、自分のことも面倒見れへんくせに、人の事にやいやい口出さんとき」
と、なるわけです。
 
要するに、
他人から「シアワセを頂く」=役に立たせてもらう、喜ばせてもらう、
という依存になっているとも言えるわけです。
 
やはり、
ワタクシには、
それは「ゴール」でも「夢」でもない、と思えてしまうのです。
「夢」は誰にでもあります。はい、必ずあります。
絶対的な一つを創り出すことが出来るはずです。
 
これが出来ない、もしくは無い、もしくはいっぱい有り過ぎて…というなら、
それを阻んでいる、自ら阻ませている原因があります。
先ほどの5つの※質問を自分に投げかけてみると、
そのヒントが得られることでしょう。。。
 
夢を、
その原因とセットで見えなくさせていると言えるのではないかと思うのです。
 
 
……いやぁ?長いですね^^;
よく聞かれるのです!
「あのブログ、どれくらいの時間かけて書いてるんですか!?」って><
読んでくださってる皆さま、
ありがとうございます!
もうしばしお付き合いを^^/
 
 
話は戻りますが、
さきほどの、主人公あかり、のぞみ、おばあちゃんの3人のやりとりのシーン後、
あかりと、おばあちゃんの2人の会話シーンに移ります。
 
ば「アンタ、あの人(のぞみ)のお腹の子、どない思てる?」
あ「あ、うぅぅ…」
ば「自分と重ねてないか!?」
ば「やめとき!それは別の話やっ!」
ば「あの人、母親になる気あらへんわ」と。
 
 
ここでも、いろいろと考えさせられるシーンが展開されました。
「親になるということ」なのでしょうか。。。
いや、むしろ、
「別の話や」という台詞に、
このシーンのメッセージがあるように見えました。
はい、もちろん!ワタクシの観点(独自)です。
 
 
 
重ね合わせるという行為。。。
 
 
  
 
子にとっての親。
親にとっての子。
 
 
関係性は様々ですが、
ヒトの子は、親から絶大な影響を与えられる生き物です。
数ある生物の中でも稀なる存在です。
 
 
またの機会に、
記したいと思います^^;
 
peach
 

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